1950-03-07 第7回国会 参議院 文部委員会 第9号 その時の造号の大使は、最初は藤原小黒麿でありました。次いで和氣清麻呂が造号の大使となつております。その造号の書記となりましたものは菅野眞道であります。菅野眞道は日本後記の編纂者であります。これは百済人であります。又その時の木工頭をいたしたのは坂上田村麿であります。これは漢人の子孫、後に征夷大将軍、その時の内閣は参議に大和の家麿がおります。 藤澤衞彦